世界自閉症啓発デー
匿名じゃないブログの加筆版。
今日(4/2)は世界自閉症啓発デーだそうです。
ごく近い知り合い(というか、身内)に自閉症のお子さんを持つお母さんがいるのですが、彼女がFacebookにこんなことを書いていました。
「(前略)
なぜ挨拶が大事なのか。
話を聞くのに何が必要か。
言いたいことを言うのがいかに難しいか。
文字を文字と理解するとはどういうことか。
文章を読むということはいかに難しいか。
片足立ちをすることがいかに難しいか。
味や食感の異なる食材を同時に食べることがどれだけ怖いか。
なぜ毎日学校に行かなければならないか。
なぜ運動会の練習を毎日やらねばならないのか。
人の気持ちを考えるとはどういうことか。
世の中のあらゆることに忖度なんて一切しない息子に「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と突きつけられ続ける毎日です。
(中略)
人口の約1割が「(診断はなくとも)自閉症っぽい」と言われているので、自閉症者と接したことのない人はほぼいないでしょう。
それだけありふれた障害です。
彼らの独特な世界観、強すぎる個性に、多くの人が寛容になってほしいと願ってやみません。」
私自身が発達障害のグレーゾーンだと思う(というかカウンセラーの先生にそれらしいことを言われた)ので、ちょっと立ち止まって考えさせられました。
彼女が意思疎通の難しい息子さんを育てる上でどれだけ大変な思いをしているか、私には想像することしかできないけれど。
最後の一文に全てが集約されているんだろうなと思いました。
前にツイッターで発達障害者を産んだ親が悪い、みたいな発言を見たことがあります。
原文を忘れてしまったので曲解している可能性はなきしにもあらずですが、当事者の1人として非常に悲しかった。
「発達障害者」の部分を他の言葉に変えても同じことが言えるでしょうか。
「気が利かない」「冗談が通じない」「すぐ体調不良になる」「空気が読めない」「興味のあることは過集中」「興味のないことは手をつけることすら苦痛」
自分で自覚している自閉症的な部分です。もしかしたら他にもあるかもしれない。
もう若いとは言えない歳なので少しは健常者に合わせることも覚えてきたけれど、まだまだ不慣れですし疲れることも多いです。
私の場合は一度メンタルもぶっ壊しているので余計にそう思うのかもしれません。
いわゆる「普通の人」になりたかった、と思うことも多々あります。
でも、そうではない。
自分でどうにかできる部分は引き続き対応できるように努力するけど、限界はあるかもしれません。
そうなった時、手助けするのが難しければ、せめて否定はしないでください。
「自分とは違う他人」を、自覚のあるなしは抜きにしても差別したり嫌悪したり排除したりする人は多いと思います。
私もそういう面があるしこれを読んでいるあなたにもそういう面があるかもしれない。
理解はできなくても「そうなんだね」と思える、そういう寛容さ……というか度量の広さは持ち合わせていたいものです。